タージ
1970年代、二十歳が過ぎ僕は、日々好きな音楽活動に明け暮れ、なかなか食べて行くことも大変な頃でした。主に昼間は楽器店の契約社員と音楽活動、夜は喫茶学院に通い、飲食業や製パン、コーヒー豆の焙煎技術など、二足の草鞋をはきながら学んでいました。1981年、24歳で所帯を持ち、必然的な大きな転換期を迎え、のちに世はバブルへと向かうとは知る術もなく転職に至りました。俗に言うイベントの制作会社に正規雇用され、全く畑違いな、未知な世界、テレビ局の番組宣伝や博覧会、ミュージカルなどの舞台制作を、長い間たずさわることとなりました。この仕事はとにかく毎日が「生もの」のような、同じ仕事が一つとしてない、不思議な職業でした。役者さんではないですが、ここで多くの経験をしたような気がします。そんな思い出深い東京、横浜の暮らしから現在の熊本に来て、気づいたら30数年の年月が流れていました。僕も70歳まであとわずかとなりました。そんな僕が、まだ青二才の頃に必死に感じとった音楽や憧れのコーヒー、そんな不思議が詰まった『倉庫cafeハロー通り』で、楽しい会話と共にコーヒーを味わっていただけたら、嬉しいです。
店主 ジルベルト田島